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大阪地方裁判所 平成3年(モ)5328号 決定

申立人(原告) 岩本愛子

〈ほか〉

右訴訟代理人弁護士 松本健男

〈ほか〉

相手方 熊本県知事

被告 国、熊本県

〈ほか一名〉

被告国訴訟代理人 堀弘二

被告熊本県訴訟代理人弁護士 柴田憲保

〈ほか〉

被告国及び熊本県指定代理人 松村雅司

〈ほか〉

主文

一  相手方熊本県知事は、別紙文書目録記載の各文書を当裁判所に提出せよ。

二  申立人らのその余の申立を却下する。

理由

第一申立及びこれに対する相手方等の意見

申立人らの申立の内容は別紙(一)記載のとおりであり、これに対する相手方の意見は別紙(二)、本件訴訟の被告国及び熊本県の意見は別紙(三)にそれぞれ記載のとおりである。

第二当裁判所の判断

一  事案の概要

本件訴訟は、かつて水俣湾周辺地域(熊本県又は鹿児島県)に居住し、後に関西地方に移り住んだ申立人らまたは申立人らの被相続人ら(以下これを単に「申立人ら」と言うことがある。)が、さまざまな神経症状を訴え、その原因はかつて水俣湾周辺でとれた魚介類を摂取し、有機水銀が体内に蓄積されたことによる水俣病であり、その責任については、被告チッソが有機水銀の混入した排水を水俣湾内に流出させたこと及び被告国及び熊本県がこれに対し監督権限があるのに行使しなかったことによるものと主張して、右被告らに損害賠償を請求するものであり、これに対し被告らは、申立人らが水俣病に罹患している事実、国及び熊本県の監督権限不行使の過失を否認し争っていることは訴訟記録上明らかである。

そして、本件申立は、申立人らが、本件各文書の所持者である熊本県知事を相手方として、申立人らの公害健康被害の補償等に関する法律(以下「補償法」という。)等に基づく水俣病認定手続における病状等を明らかにすることにより、申立人らが水俣病に罹患している事実を立証したいとして、本件各文書、すなわち、右水俣病認定申請手続において申立人を検診しその結果を記録した文書(以下「検診録」という。)及び死亡した申立人についてなされた解剖の結果を記録した文書(以下「剖検記録」という。)の提出を求めているものである。

二  本件における文書提出義務の存否について

1(一)  申立人徳富美代子に関する検診録については、一件記録によっても申立人が所持しているとの事実は認められない。したがって、相手方は右徳富について文書提出義務を負わない。

(二) 亡川元正人、亡浜本勝喜、亡山下一弥、亡吉田信市については、死後水俣病に罹患しているか否かを判定するため解剖がなされ、その剖検記録は既に本件訴訟において証拠として提出済みであることは一件記録上明らかである。また、亡木下嘉吉については、認定申請をしたが未検診のまま死亡したため民間資料に基づき熊本県知事から棄却処分を受けた者であり、右資料が既に本件訴訟において証拠として提出済みであることは一件記録上明らかである。そして、相手方が、右亡川元、浜本、山下、吉田、木下についてその他の検診録ないし剖検記録を所持するとの事実は一件記録によっても認められない。したがって、相手方は、右五名についての文書提出義務を負わない。

(三) その余の申立人についての別紙文書目録記載の各文書(以下「本件文書」という。)を相手方である熊本県知事が所持している事実については争いがない。

以下その余の申立人に関する文書提出義務について検討する。

2(一)  民訴法三一二条三号前段の挙証者の利益の為に作成された文書とは、直接または間接に挙証者の法的地位や権利関係を明確にするために作成された文書と解すべきであり、このうち、当該文書の所持者又は挙証者以外の第三者が専ら自己の利益のために作成した内部文書は除外されるが、それ以外であれば、挙証者の利益のみに資する文書のみならず、挙証者と文書所持者等との間の共通の利益に関する文書をも包含すると解するのが相当である。そして、作成目的については、文書作成時における作成者の主観的な意図のみならず、当該文書作成の経緯、記載内容、文書作成義務の有無、当該文書作成を要求する法令の制度趣旨等の諸要素を総合して客観的に判断すべきである。

そこで、以下本件文書について検討する。

(二) 一件記録によれば、申立人らに関する水俣病認定手続の概要は以下のとおりである。

水俣病の認定に関する処分は、補償法に基づき、指定地域を管轄する都道府県知事等が行うこととされている。この点、「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法による認定に際しての医学的検査の実施について」と題する昭和四五年一月二六日厚生省環境衛生局公害部庶務課長通知及び「公害健康被害補償法等の施行について」と題する昭和四九年九月二八日環境庁企画調整局長通知等(以下これらを「本件通知」という。)によれば、水俣病認定に際しては主治医の診断書または当該疾病についての所要の医学的検査に基づくべきものとされ、熊本県知事は、水俣病認定申請者に対し水俣病罹患の有無に関する医学的検査(いわゆる「検診」)を行い、検診等が終了した者について、検査結果を記載した文書、すなわち検診録を審査会委員等に要約転記させて審査会資料を作成し、それを熊本県公害健康被害認定審査会(以下「審査会」という。)に提出して諮問する。これを受けて審査会は、右審査会資料ないし場合によって検診録に基づき、申請者が水俣病に罹患しているか否かについて審査してその結果を知事に対し答申する。そして、知事は、右答申に基づき、申請者が水俣病に罹患しているか否かに関し、認定ないし棄却の行政処分を行っている。

本件の申立人らは以上の手続に従い、水俣病の認定申請を熊本県知事に対してなし、水俣病検診センターにおいて検診を受けたが、最終的に熊本県知事から棄却処分を受けたものである。

(三) 本件文書の作成義務の有無

補償法は、事業活動等に伴って生ずる大気汚染や水質汚濁の影響による健康被害に係わる損害を填補するための補償等を行うことにより、被害者等の迅速かつ公正な保護等を図ることを目的として制定された(一条)。さらに、本件通知は、右の補償法の趣旨を受けて、水俣病認定手続においては、審査会の審査に資するため、申請者全員に対し、一律に当該疾病について、必要な検査項目を具体的に挙げて医学的検査を実施し、その結果を申請者の認定申請書等関係書類とともに整理保存するよう指示している。そして、熊本県知事は、現実に本件局長通知に従って認定業務をなし、かつ、水俣病の認定等の行政処分を行う公的機関であることから、前記のような経緯で実施された医学的検査の結果を記載した検診録を所持しているものである。

右の事実によれば、熊本県知事は、水俣病認定申請者について医学的検査を実施しかつこれを検診録という形で文書として作成し保存することが法令上義務づけられているというべきであり、本件文書も右作成義務に基づき作成されたものと解すべきである。

(四) そして、本件文書を作成し保存する目的は、前記補償法一条の制度趣旨を実現すべく、県知事のなす水俣病認定等の行政処分の適正さを担保することにあり、さらに将来的に右行政処分について審査請求や行政訴訟が提起された場合に、証拠資料として使用することをも目的として作成されていることは否定できない。一般に、本件申立人らのような行政処分を受ける者は、行政実体法上適正な処分を受けうる法的地位が付与されるというべきであり、補償法上においても水俣病認定手続においては迅速適正な行政処分を受けうる法的地位が申立人らに付与されていると解することができる。

以上の事実を総合すれば、本件文書は、水俣病認定手続に関し、申立人らの補償法に基づく法的地位を明確にすることを目的として作成されたことが認められるのであって、専ら本件文書所持者である熊本県知事の利益のために作成された内部文書とは言い難い。

なお、相手方及び本件被告人らは、本件文書は公開を予定されていない内部文書であると主張するが、補償法一二八条は審査請求における審理の公開を定めており、その限度ではあるにせよ一定の場合には公開されることを前提にしているといいうる。

したがって、本件文書は、申立人らの利益の為に作成された文書に該当し、相手方は本件文書について提出義務を負う。

3  本件文書提出の必要性について

(一) 本件文書の記載内容について

本件通知によれば、水俣病認定手続における医学的検査は、全申請者に対し、精密視野検査、精密眼底検査、精密聴力検査を実施し、必要に応じて、毛髪等の水銀量測定、筋電図検査、バイオプシー、血液及び尿の検査等を行うよう指示されている。そして、これらの検査結果は、申立人らが水俣病に罹患しているか否かという本件訴訟と共通の争点に関するものであるといえる。

そして、水俣病の病像論については争いがあるが、いずれにせよ、右検査結果を記載した検診録により、申立人らの認定申請時の病状がどのようなものであったかをより具体的に明らかにすることは、実体的真実発見の見地から本件訴訟において必要である。

この点、検診録を要約転記した審査会資料が既に提出されており検診録を改めて提出する必要性はないと被告は主張する。しかし、一件記録によれば、検診録と別に審査会資料が作成されるのは、検診録の分量が多く、審査会における審査を円滑化するため、これを要約した文書を作る必要があるからであり、右審査において、審査会資料からは判断が困難な場合はその原本である検診録にいちいちあたることがあるとの事情が窺われる。したがって、申立人らの本件申請時の病状をより具体的に明らかにするためには、審査会資料のみならずその原本である検診録を吟味することが必要である。

(二) 本件訴訟における原告及び被告双方の立証活動について

本件訴訟において、被告は、前記審査会資料を、同資料が本件検診録に基づき作成されたことを前提に書証として提出し、申立人らが熊本県知事の水俣病の認定等の行政処分において棄却処分を受けたことをもって、申立人らが水俣病に罹患していない旨主張しているものであり、それゆえ、これを全面的に争っている申立人ら(原告ら)は、右認定の適正さについて争う立証活動を行うことになるが、水俣病は様々な症状を呈する疾患であり、その認定は場合によって困難をともなうこともありうるから、申立人らに対し、右立証活動として、水俣病認定の原資料である検診録につきその内容を吟味し検討する機会を与えることは、文書提出命令の趣旨である武器対等の原則、公平の実現の見地からして望ましいというべきである。

(三) 以上から、本件文書を相手方に提出させる必要性は高いといえる。

4  相手方及び被告主張の文書提出を拒絶すべき正当事由の存否について

(一) 相手方熊本県知事及び被告国、同熊本県は、別紙(三)記載のとおり、検診録を提出すれば、検診医の人権保障、検診医の確保、検診録の事実性の確保の点で問題が生じ、水俣病認定行政に影響を及ぼす旨主張し、それゆえ本件検診録については文書提出を拒絶する正当事由が存すると主張する。

確かに、一件記録によれば、被告らの主張のとおり、昭和四九年の集中検診において、水俣病認定申請患者協議会(以下「協議会」という。)が集中検診は杜撰で乱暴であると抗議して各検診医に抗議するなどしたため検診医が大量に辞退するという事態を招き以後検診医の協力を取り付けるために検診録の公表をしない旨熊本県知事において約束したこと、協議会は、昭和六一年六月四日、審査会の三島会長及び審査会の委員を適切な認定をせずに三〇〇人もの申請者を死に至らしめたと主張して、殺人罪及び同幇助罪で告発したこと、右同月一〇日及び昭和六二年八月五日、協議会等は、検診の際に苦痛を与えられたとして検診医を傷害罪で告訴していること、協議会が、審査会委員や前記三島会長に対し、たびたび辞任要求をしてきたことその他協議会が審査会の運営に対するさまざまな妨害をしてきたことが認められる。

しかしながら、一件記録を精査しても、本件申立人ら自身が右の協議会等の行動に参加したとの事実や水俣病認定業務を妨害したとの事実を認めることはできない。そして、本件検診録が提出された場合認定業務において前記経緯と同様の混乱が生ずる懸念があるとしても、相手方らは熊本県における水俣病認定業務の行政上の責任者である以上、事故発生の規模や性格等水俣病問題の特殊性に十分配慮して、円滑な認定業務の実現をなす責務を負う。したがって、右のような混乱の生ずる懸念のみでは、文書提出を拒絶しうる正当な事由があるとまでは言い難い。

(二) なお、検診録が裁判上提出された場合、補償法が定める水俣病認定制度における審査会委員の自由な心証による判断や知事の合理的な行政裁量権を阻害しないかどうかという点も一応問題となるが、行政処分が未だなされていない段階であればまだしも、本件申立のように、すでに県知事が棄却処分をなした後に事後的に検診録の提出を求めた場合であれば右のような問題は生じないというべきである。

三  そうすると、本件申立は、前記認定のとおり本件文書については理由があると認められ、その余については理由がないから主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 中田昭孝 裁判官 金井康雄 青沼潔)

〈以下省略〉

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